伊勢志摩渡鹿野島上陸記 (2) 風待の島

ネット上では様々な怪情報が飛び交い未だに禁断の島などと言われる伊勢志摩の渡鹿野島への上陸を果たした我々は、まず島内主要部を一通り回っていこうと考え、さらに奥へと進んだ。

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有料民間渡船で島の入口へ渡ると、一軒のスーパーと数軒の飲食店が連なる島の中心地的な通りがあるが、そこから一歩脇道へ入ると、そこにある飲食店やスナックは潰れたままの無残な状態に変わっていた。


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とにかくおかしな噂ばかりを聞く島だが、そこには300人程度ではあるが島で暮らす人々も居る。普通に人の営みはあるのだ。

だがじわじわと島の人口は減少傾向にある。国勢調査によると平成7(1995)年には502人、平成12(2000)年には392人、さらに平成17(2005)年には308人まで減少している。

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この急激な人口減少が響いているのだろうか、島にある民家はあちらこちら廃屋のまま置き去りにされているのを見る事ができる。

だいたいこの島に下りてから見た人間が、客引きのオバハンと島の入口で犬を散歩させているお姉ちゃん(おそらく娼婦だろう)2人組くらいしか居なかったのだから、よっぽど過疎化しているに違いない。

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坂道の中ほどに汐見荘と書かれた民宿があるが、やはりここも廃屋となっていた。

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その昔、江戸と上方を結ぶ菱垣廻船が悪天候時に的矢湾の中に佇むこの小島に停泊し天候が回復するのを待つようになった事から「風待ち港」として賑わいを見せたのが渡鹿野島の発展のもとだったという。その当時から船乗りの男衆を相手に春を売る女性の存在がおり彼女らは「把針兼(はしりがね)」と呼ばれていた。

売春島としての歴史が江戸時代から今に続いているわけだ。
遊郭街として名を馳せるようになった江戸時代の渡鹿野島には「女護ヶ島」と言う別名もあったそうだ。

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そんな話を聞いて、一体どんな島やねんと喜び勇んで来た訳なのだがこの凄まじい島の廃墟っぷりを見て愕然とした。本当にどこの家を見ても人が居ない。どうなってしまったんだ?!

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そうこうしてるうちにテンションはもはや「廃村探索モード」に切り替わってしまっていた。

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坂を上りきった所で唐突に場違いなくらい綺麗に整備された「渡鹿野コミュニティ公園」が現れる。律儀に滑り台なども置かれているが当然そこで遊ぶ子供の姿は無い。

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「場内ペットの運動禁ず」との注意書き。ペットどころか人っこ一人誰も居ない場所なのだが意味のある果たして注意書きなんだろうか。先ほど犬連れのお姉ちゃん(たぶん娼婦)を発見したわけだが、彼女らに向けたメッセージなのかも知れないな。

借金のカタなのか、何の理由があってか知らぬがたった一人でこんな離島にやってくることとなった彼女らの孤独を癒すためにペットを飼っているという事ならば容易に想像がつく。

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さらに歩きタバコを禁じる看板まで置かれている。これも娼婦に向けたものなのか観光客に向けたものなのか。狭い島ではひとたび火災が起きると島全体に燃え広がる恐れがある。もっとも、煙の立つような事もないほど人が消えた寂しい島ではあるが。

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丘の上から島の中心部を眺めると、やはり見た感じでは普通の島でしかない。もう少し歩き回る事にしよう。

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