島の主要部を一通り見て回った我々は、改めて渡鹿野島の中心地となる通りに出てきた。
さっきの客引きのババアを探してはみたが、既にその姿はなく、夕暮れ時を間近にする島は相変わらず人っ子一人ない閑散っぷりを見せている。
ここ渡鹿野島が最盛期だったのは売春防止法が施行された以降の昭和40年~50年代あたりだったそうで、全国各地の赤線が消えてしまった一方で密かに営業を続けていたこの島へ一気に需要がなだれ込んできたというわけだ。もっとも、江戸時代から売春島として生計を立ててきた島が急に商売をやめるわけにもいかないという事情もある。
所謂「団塊の世代」あたりのオヤジが若かりし頃に社員旅行や男友達などで連れ立って「お伊勢参りに行ってくるわ」などと言っておいて実はこの島にひっそり遊びに来ていたりするわけだ。
特に関西方面のオヤジ世代にとっては青年時代の思い出に渡鹿野に行ったという武勇伝を持っている者は多いと言われる。ちなみにその情報のソースは実父である。
いま見ている風景は「夢の跡」でしかない、風俗遺跡と化した島の末路とも言える。最盛期には日暮れ頃になると一斉に島に住む娼婦らが街を闊歩していたと言われる光景も、遠い昔の話でしかない。
既に島の入口付近にある大型旅館ですら廃墟ビルとなっているような状態なのだ。まさに虫の息とも言える様相を呈している。
このへんが渡鹿野島の中心地だけあって、開発総合センター、郵便局といった島民の生活に密着した施設が集中しているが、やはり我々以外に人の気配を感じることもない。
島にはわずかながら子供も住んでおり幼稚園などもちゃんと存在している。本来の島民なのかはたまた娼婦の連れ子なのか、細かい事情は知らんが。
もはや廃墟の島と化してしまった渡鹿野島は起死回生のために行政を挙げて島のイメージチェンジを図る事になる。本来のリゾートアイランドとしての価値を高めるための作戦に打って出たわけだ。
それが「わたかの島パールビーチ」なる人工砂浜の存在だ。
2003年、島の東側一帯に砂浜を造成して海水浴を楽しめるようにした。
2008年にはこの砂浜でレゲエ祭りなんぞも開催されたりして一応「普通のリゾートアイランド」としての知名向上作戦には努めている模様。
しかし来た時期が海水浴シーズンではないので砂浜は凄まじく閑散としている。
島の規模には不釣合いなほど立派な更衣室を完備している。志摩スペイン村に見習ったのかしてこちらもスペイン風建築を取り入れている。
売春島というマイナスイメージはなかなか払拭できないものであることには違いないが、その部分だけ割り切って考えると、ある意味非常に穴場的な海水浴場かも知れない。
綺麗に敷き詰められた砂浜の向こうにはまるで廃墟寸前のような佇まいを見せる古いホテルが見える。一応、営業しているみたいだが...
気になって近づいてみるとさらに壮絶な光景を拝む事となった。続きは次のページで。













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