熱海温泉探訪記 (3) 熱海桜と大湯間歇泉

熱海市の中心市街地、銀座町まで降りてきた。

バス停の名前に「銀座」と書かれているように、ここが熱海における一番の繁華街だとばかりに名づけられた地名。当然ながら東京の銀座とは全くの別世界だ。

伊豆箱根バスの銀座バス停の前には糸川が流れており橋が掛かっている。我々が熱海にやってきた時期がちょうど「熱海桜」の開花シーズンだった。

河津桜などと同じ寒桜の一種だが、開花時期は1月初旬から2月までで、結構花の持ちが長い。日本で最も早咲きの桜だ。鮮やかなピンク色の花を咲かせる。

熱海銀座商店街の入口には老舗の和菓子店「とぎわぎ製菓」の建物がある。この建物も市内では他にない年季の入り方をしているが、かれこれ90年もの歴史がある。

そこから山側に入った所に「ニューフジヤホテル」のでかい建物がある。巨大なうえに中心市街地にあるため存在感が他のホテルとは数段違う。しかもやたら古いのだ。

本館建物は東京オリンピックがあった1964年(昭和39年)に建設されたものだ。ある意味、熱海が最もイケイケドンドンだった時期の面影を最も漂わせている物件の一つとも言える。

ニューフジヤホテルに隣接する同ホテル別館脇に、有名な間欠泉の一つ「大湯間歇泉」がある。

かつてはここから絶え間なく温泉が吹き出していたと言われるが、関東大震災で地盤が動いたため温泉の噴出が止まってしまう。その後はポンプの力で人工的に温泉を噴出できるようにしているのだが、我々が来た時はさっぱり噴き出さず、静かに湯気を立てるだけだった。

間欠泉の隣に置かれた、初代駐日英国公使であるラザフォード・オールコックの記念碑と、その愛犬トビーの墓。

開国間もない1860年に、外国人初となる富士登山に挑んだ後、熱海に静養しに来たものの、連れてきた愛犬が噴き出した間欠泉を浴びて死んでしまったという事から、この場所に墓が作られ葬られている。

その隣には日本の市外通話発祥の地と、その時代に使われていた電話ボックスの現物が置かれている。大昔から熱海は政府高官らの静養地として整備されてきた街であることを残している。中央政府のある東京に度々連絡を入れる為に、市外通話の必要性があったわけだ。

噴き出さない間欠泉がしょぼかったので、さらにその奥にある「湯前神社」を訪ねた。神社の名前からしていかにも温泉街のそれっぽい。

鳥居を潜った右側に、もうもうと湯けむりを立てる源泉があった。どうやらここが手水鉢となっているようだ。手と口を温泉の湯で清めるというのが実に熱海らしい。しかし湯が熱すぎてまともに触れない。

それほど大きな神社ではないが、少彦名命を祀る神社で、創建の歴史は平安時代以前に遡る古社。

境内には源実朝の歌碑がある。
「都より巽にあたり出湯あり名はあづま路の熱海といふ」

古くは源頼朝や徳川家康も熱海の湯に浸かっていた。
日本を代表する温泉街であるという事を歴史の面でも思い知らされる。

湯前神社の隣には日帰り温泉「日航亭大湯」の建物がある。日航と名前がついているが破綻状態の某航空会社とは関係ないそうです。

なんでも徳川家康が浸かった湯があったのが、ここの大湯だったそうだ。「出世の湯」などと呼ばれ、随分おめでたい。

熱海は街中で温泉の湯気が挙がっているのだが、その中でもこの周辺だけは湯けむりの量が特段多いような気がする。

...と、これまで回ってきたのが熱海の「表の顔」だ。これで満足して帰ったらあまりに平凡過ぎる。当然日本DEEP案内はここでは終わるはずもない。

ここからは熱海の「裏の顔」となるストリップ劇場、風俗街、飲食店街、旧赤線建築、青線跡のバラック、それにホテルの廃墟群や熱海秘宝館まで、どっぷり案内しまくっていこうと思う。

さすが日本を代表する温泉地だけあって見所が非常に多すぎて、話をまとめるのが大変であった。その分、今回の探索においての収穫は半端なかった。以下、次のページで。

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