営業中写真撮影厳禁、日本最大の現役遊郭!大阪西成のちょんの間地帯「飛田新地」を歩く (全3ページ)

大阪市西成区山王三丁目にある「現役の遊郭」飛田新地の存在はここ近年ネット上でもすっかり有名になってしまったが、改めて当サイトからもこの場所についてのレポートをお届けする。

飛田新地の場所は大阪市西成区山王三丁目にあり、日本最大のドヤ街釜ヶ崎の東側、JR天王寺駅南西500メートルに位置している。

地下鉄動物園前駅からアーケード商店街に沿って南下していくと飛田新地の西側にある大門跡の前に出る。その周囲には未だに遊郭時代の名残りである高いコンクリート壁が残されているのだ。かつては交番が置かれた大門以外は立ち入りできず、遊郭の中で働く遊女達の逃走を防いでいた。

大門跡には飛田新地の成り立ちについて説明された石碑が置いてある。飛田新地の前身はミナミにあった難波新地乙部遊郭だが、明治45(1912)年1月に難波新地の銭湯百草湯から出火、遊郭も含めて繁華街の大部分が焼失、それに変わる代替地として当時は東成郡天王寺村という街外れの一画にあったこの場所に2万坪余りの免許地が設定され遊郭が作られた。大正5(1916)年の事である。

飛田遊郭は発足直後に100軒を超える妓楼が立ち並ぶ大遊郭地に成長、最盛期には200軒にまで膨れ上がり難波新地乙部遊郭の火災の痛手も吹き飛ばす程の隆盛を極めた。遊郭時代は大門から近かった「一番」から順に奥に行く程格式が上がり、最奥部にあった「百番」は最も格式が高い店という事になっていた。

飛田新地の南東部、大門から最も遠い一画には大正7(1918)年築の豪華絢爛な遊郭建築を残す「鯛よし百番」の建物がそびえている。飛田遊郭発足当時の佇まいをそのまま残しており1999年に「文化庁登録有形文化財」となる。現在、飛田新地の中で唯一「ちゃんとした料亭」として営業を続けている。

外側から見るだけでも凄まじい遊郭建築だという事が実感できよう。二階部分には京都の三条大橋を模したかのような朱塗りの手摺と艶かしい赤提灯が並ぶ。

「鯛よし百番」のもう一つの玄関口。今は使われていないようだが遊郭時代には正面玄関とこちらの玄関を使い分けて客層を見計らいあしらっていたのだろうか。

鯛よし百番の横あたりにひっそりと置かれた石碑がある。それは大正時代から現在に至るまで、この飛田の地で働いていた関係者や遊女達の霊を弔う慰霊碑だ。

傍らには母子観音像。古今東西問うまでもなく飛田新地もまた「苦界」なのである。無念に命を散らした遊女達の霊は今も飛田の住人によって粛々と弔われている。

碑文「安らかに来りて眠れこの飛田(さと)に 有縁無縁の浄利創らむ」…この慰霊碑と観音像は無縁仏を兼ねて祀られている事は言うまでもなかろう。

母子観音像のそばにあった案内板に飛田新地料理組合の歴史とともに慰霊碑や観音像の由来について詳しく書かれている。以前は高野山に無縁仏の慰霊碑があったが数年参拝が途絶えた末に所在不明になってしまったとある。

それにしても気になったのが「今回で五度目です」などと書かれた賽銭泥棒への怒りの張り紙。しかしこんな所にまで賽銭泥棒がやってくるというのが流石の西成クオリティである。

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